こんにちは、悠ですʕ•ᴥ•ʔ
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ここ数日、「罪悪感」や「無価値感」の研究?分析?にハマっていて。笑
師匠・根本さんのブログを検索して読み漁ったり、
大好きな天寿さんのブログを読み漁ったり。笑
以前、天寿さんが「罪悪感」について何記事にも分けて書いていたのを見つけて。
罪悪感を解消する「許し」のワークが載っていたので、やってみることに。

①自分の罪悪感を見つけよう
私は、僕は
何に対して罪悪感を抱いているのかな?と自分に質問したり
考えたりしてみましょう。何に対して罪悪感を抱いているのかが
分からない時は・・・「周りの人」や「出来事」
から見つけることができます。あなたは
どんな時に「嫌な気分」になりますか?
あなたが
傷ついたり、苦しんだり
腹が立ったり、悲しくなったのは「誰が」「どんな発言をした時」ですか?
「誰が」「どんな行動をした時」ですか?
嫌な気分になった出来事や言葉には
「自分の罪悪感」が隠れています。
「誰かが」
自分にしてきた事、言ってきた事は「自分が自分に対して」
やってる事、言ってる(思ってる)事です。「自分に対して禁止している事」
「自分を責めている事」も
罪悪感の1つです。
「そういえば、具体的にどんな罪悪感があるか、あんまり探ったことなかったかも…??」
と思って、やってみたら、、、
いろいろ出てきたけど(笑)特に大きかったのは
「自分の才能・魅力を認めること」
つまり、
「『こんなにダメで、どうしようもないところがいっぱいある自分』だけど、
それでも『才能や魅力があるんだ』『あるって言っていいんだ』」
と思うこと。
今回はじめて気付いたんですが、
たぶん私、才能や魅力を「相対的」なものだと思ってたみたいなんですよね^^;
だから、
「あんなにすごい人がいるのに、こんなにダメな自分のことを『魅力がある』って言ってはいけない」
みたいのがあったようで^^;
でも、そもそも「才能」って、「その人の中では何が好きで得意か」というのを示すもので。
自分としては、「できてる」「得意」と思うなら、それは「才能」なんですよね。
人と比べてどうこうというものではないんです。
それに、何をやるにしても、人と関わることになるわけで。
「自分はダメ」「どうせ大したことない」って思いながら接するって、
関わる人たちにめちゃくちゃ失礼なことしてたんだ…!とも気付いて。
わー、大きな掘り出し物を見つけたようですねー。笑
「ずっと『認められたい』みたいな気持ちがあったけど、実際に認めてもらっても受け取れてなくない??笑
結局、『自分が自分を認められるかどうか』じゃないの??」
「じゃあ、それってどうやったらできるんだろうねー??」
って、この1ヶ月くらいずーっと考えてたんですが(笑)
それがまさかこうなるとは。笑
奢るわけでもなく、ひけらかすわけでもなく、ただ「在る」を認める。
これに気付くために、いろいろあったのかなー?と思ってしまいました。笑
ひとまず、今週末のお弟子講座の前にスッキリできてよかったです♥笑