わからないからこそ、わかりたい。【コミュニケーションの意義】

こんにちは、カウンセラーの悠ですʕ•ᴥ•ʔ

 

 

ここ最近、「パートナーシップ研究」として、いろんなメンズに会っているのですが。
ほんと、いろんな人に会うたびに「もっといい女になりたい…!」って毎回思いますね〜。笑 「人は鏡」ですし。

で、「私にとっての『ヘラクレスくんの条件』ってなんぞや??」っていうのを明言化しようとしてるんですが。
いくつか条件がある中で、「自分的にこれ、かなり大事にしたいんだろうな〜」と思ったものがあって。それが「言葉のコミュニケーションを大事にする」なんじゃないかと。具体的には「自分の思いを伝えようと努力するし、相手の思いも受け止めようと努力する」ですかね。「努力」というか、「工夫」とか「意識」かな??

 

人って多面的な存在で、人や場面によって見せる顔が違うし。時間や経験を重ねるごとにどんどん変化していくので。
その人を「知る」、その人の「一面を垣間見る」ことはできても、その人を完全に「わかる」ことはできないと思うんですよね。たとえ一生を費やしたとしても。

相手や自分が過去や現在に感じた感情にしても。
その人以外は、その人がそのとき「何を」「どれくらいの濃度で」感じたかなんて、究極には「わかる」ことはできないと思うんです。
どれだけ「理解したい」「寄り添いたい」と思ったとしても、それは「私の世界」の「私の尺度」による、ただの「想像」に過ぎない、と思うんです。

わかんないからこそ「知ろう」として、わかんないからこそ「聴こう」とする。そして自分の想いを「伝え」ようとする。それがコミュニケーションだったり、人と人との関係性であって。
知ろうとする、理解しようとすることが関係性を作る上での重要なステップだと思うんです。そして、その「わかんない」「わかりたい」「わかってほしい」っていうのが人との関係を作るおもしろさなんじゃないかと。

 

心理学的には「話を聴いてくれた人」を人は信頼する傾向にあるんですが、それって「自分という存在を受け入れようとしたり、肯定しようとしてくれてる」と感じるからなんじゃないかと思うんですよね。

「(相手がどんな人間か)わかった」「どうせこんな人だし」「なんでわかんないの?」「それくらい察してよ」と、勝手にわかったつもりになったり、諦めたり。一方的に相手に理解を求めるのは、怠惰であり、傲慢だと思うんです。関係が綻び始めるのって、そういうところなんじゃないかと。
パートナーや親子、兄弟姉妹。大切にしたい関係、親しい関係こそ「わかってよ」って甘えが出やすいかと思いますが、そういう関係こそ、ちゃんと丁寧に「理解してもらおうとする意識」「伝えようとする意識」を持って接する必要があるんじゃないかと思います。

 

あと、私はかなり捻くれてるので。笑
「(どういう人か)わかった」って言われたら、「ただ表しか見てないあなたに何が判るの by L’Arc」って思っちゃいますね♥(ΦωΦ)笑

 

人に会うたびに、「あなたは本当はどんな人??」「本当は何を大事にしたいの??」って問いかけられてる気がしますね〜。笑
相手を「知ろう」としているつもりでも、半ば強制的に自分を「理解」させられてて、それが「人に会うおもしろさ」なんだろうなぁ꒰*´꒳`*꒱

 

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